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コラム(1992年):コンピュータ時代を築いた男たち(2) 7~14
7.ヒルベルト
天才には、ちょっとヘンなのが多い
ドイツの数学者ヒルベルトが発見した「ヒルベルト空間」は、コンピュータの創生期はもちろん、現代のエレクトロニクス技術にいたるまでの幅広い分野で重要な基礎論となった。
ヒルベルト空間とは、「無限大の次元をもった収束した空間」のこと。
彼が生涯に残した仕事は膨大で、初期の仕事を忘れてしまうほどだったとか。
晩年にヒルベルトの全集の校正刷りを届けた編集者は、真っ赤に添削されたゲラを彼から手渡され、たずねられたという。
「君、この論文はなかなかよくできているけど、いったい誰が書いた論文かね?」
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8.パスカル
税金計算から生まれた世界初の計算機
「人間は考える葦である」という、遺著『パンセ』の言葉で有名なパスカル。
1642年に、パスカルは、史上初の歯車式加減計算機を発明した。
科学、宗教、思想、文学など、17世紀フランスのどの分野でも異能の才をしめした彼は、歯車式加減計算機を製作した時、弱冠16才。
発明のきっかけは、当時ノルマンジーの徴税総監をしていた父親が苦しんでいた煩雑な税務計算を助けるためだったというから、親孝行の品であったわけだ。
今も昔も、税金の計算ほど人の頭を痛めるものはないらしい。
たとえ取る側にしても…である。
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9.ライプニッツ
コンピュータの祖と呼ばれる17世紀の巨人
パスカルの加減計算機を改良し、乗除もできる四則計算機をつくりあげたのは、ドイツのライプニッツ。
1971年に発明されたこの計算機は、加減算を行うハンドルの回転を繰り返して乗除算を実現する方式で、その後のデジタル式計算機の基本になっている。
ただし当時の機械計算や加工精度の限界から、数桁以上の繰り上がり算には弱かったのが事実のようだ。
ライプニッツはまた、易経の八卦図から触発を受け、そこから二進法を思いいたっている。
記号論理、計算機、二進法など、まさにコンピュータの祖と呼ぶにふさわしい足跡を残した。
ライプニッツの活躍は、数学、哲学はもとより、政治・外交・法学・神学にも及ぶ超人的なものであった。
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10.バベッジ
140年眠り続けた”幻の巨大計算機”
19世紀なかばイギリスの応用数学者バベッジは巨大計算機「ディファレンスエンジン」を構想した。
これには、プログラム可能な四則演算装置、結果を貯蔵する記憶装置、パンチカードによる情報処理など、今日のコンピュータの原形ともいえる機能が盛り込まれていたのだが、残念ながら構想だけに終わった。
この機械がもし蒸気機関をもって完成していたら…という奇想天外な着想から、SF『ディファレンスエンジン』を共著したのが、サイバーパンクの雄、W・ギブスンとB・スターリング。
だが事実は小説より奇なり。
バベッジの残した設計図と部品を保管していたロンドンの科学博物館が、バベッジの生誕200年を記念して、この機械を1億8千万円かけてすでに完成させているのだ。
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11.ワトソン
ハングリー精神が生んだ論理代数
現代のコンピュータ産業の基礎を築いた人物といえば、IBMを創ったトマス・ワトソンが第一であろう。
商業学校を出てピアノやミシンのセールスマンをしていたワトソンは、1895年NCR社に入社し、たった13年で取締役に昇進したが、社長との販売方針で対立して退社。
その後、タイムレコーダーや統計用製表機、自動計量器を扱うCTR社の再建を引き受け、全米社会保障法の成立に便乗し、政府から多額の統計機の注文を受けて現在のIBM社の前身を築いた。
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12.モークリーとエカート
故障の合間に運転させた1号機
1946年、世界初の電子計算機「エニヤック」を完成させたのは、J・モークリーとJ・P・エカートの二人を中心とする、マサチュウセッツ工科大学の研究グループ。
2年前にハーバード大学で完成したリレー計算機の、1000倍という計算スピードを達成した最新機ながら、18800本もの真空管を使った巨大なしろもので、室内はその発熱のためサウナ風呂さながら。
おまけに、ひとつの計算が終わるたびにプログラム配線のプラグを電話交換手のようにつなぎ替えねばならない。
当時の研究員は、苦労談を次のように述懐している。
「きちんと計算できるのが不思議なくらいだったね。だって、故障の合間に運転していたんだもの…」
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13.バーディーン
天が二物を与えた例もある
コンピュータの進化は、周辺技術を発明していった人々の功績を抜きには語れない。
最大の功労者を1人挙げるとしたら、やはりトランジスターの発明者ジョン・バーディーンであろう。彼が発明したトランジスターは、コンピュータに第2世代の到来を告げ、飛躍的な進歩をもたらした。
バーディーンの天才はこれだけにとどまらず、いまをときめく超電導理論をも発見している。天は二物を与えずというが、この人の場合は、例外中の例外。
今世紀最大の2つの技術革新によって、彼は2度のノーベル物理学賞を受賞。
ますますの活躍を期待されたが昨年、惜しくも82才で物故している。
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14.MITの学生たち
無名の”サイバーキッズ”たちに、乾杯!
コンピュータの故郷といえば、米国の名門大学、MITことマサチューセッツ工科大学。
1959年、世界初のミニコンPDP1が開発されたとき、MITの大学院生たちは壮大ないたずらを思いついた。
この高価なマシンを使ってゲームをつくろうというのである。
当時のミニコンといえば国家財産も同じで、1分ン千円という法外な使用料が課せられていたほど。
教授の目を盗み、ありったけの知恵と能力を寄せ集めながら、完成した世界初のコンピュータゲームは、なんと当時の大学生たちのヒーロー、ゴジラを主役にした「宇宙戦争」だったとか。
コンピュータ時代を築いたのは、著名な学者ばかりではない。
無名の電脳小僧たちにも、感謝、乾杯を!
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